今日は休みにしようとおもって、
母校でウエイトトレーニングをしてきました。(╹◡╹)?!

卒業して、多分、初めて?のウエイトです。
大学までで、一生分の運動をしたとおもってるので、もうお腹いっぱいで、社会人になってからの運動習慣はほとんどありません。

そうやって、ずっと避けて来ましたが、適度な負荷は少し気持ちいいかもと、ようやく思えるようになってきました(๑・̑◡・̑๑)

本日、ベンチプレスは40kgも上がりませんでしたが、よく分からない背筋鍛えるやつは、40kg上がってよかったです。(写真)

わたしは、それら+α をやって満足した(力尽きた)ので、ウエイト場の様子を眺めて暇を潰していました。
(一緒に来た人たちはまだまだ続けていたから。)

ところで、
向上したい、とおもって
試行錯誤してる姿って 傍目は

不格好だなー

と思うんです。

それでも、ウエイト場の人たちは、
全く人の目を気にせず、

何度もその動きができるようになるため、反復をし続ける。

見た目はかっこ悪い。

でも、何度も繰り返す。

そして、
周りの人はそれに対して、

茶化すようなこともない。

そんな人たちを見て、
こういう 場 ・組織 を作るのって
実はそう簡単じゃないな、と思ったのです。

(つまり、このウエイト場の雰囲気、すてき!とおもったのです。笑)

初めての試みとか、試行錯誤ってどうしても初めはうまくいかないから、不恰好になりがちです。

でも、練習しなければ、その不格好はいつまでたっても、格好良くはならない。
その不格好を晒すのって勇気がいりませんか??

「そんなところでも、
勇気を持って頑張りましょうよ!」

なんて、その人の勇気に頼るのは簡単ですが、じゃあ、そんな勇気のない人はどうしたらいいの?

そんな場で、実際に行動するのは、難しい。

だったら、初めから、

「周りに水を差されるかな」、

「こんなことやるとどう思われるんだろう」、

「浮くかな」、

そんな不安を抱かせない 場 って

作れないのかな、とおもったんです。

でも、、、
どうやったらできるんだろう。。

と、行き詰まったので、
備忘録がわりに書いて見ました。

ということで、
自分の経験を
遡って考えて見ました。
(真面目 である事と、不格好を晒す事 がわたしの中で同一っぽく扱われています。うまくまとまりませんでしたが、それも含めて晒すことにしました。)

幼稚園の頃は、
みんなが何にでも一生懸命だった気がするので、できる、とか、できないを気にせずに自然体でいれた気がします。

小学生くらいから、
真面目な人は、茶化されることが多くなり、なんだか、
一生懸命やること 、挑戦すること が難しいな、と感じるようになりました。

中学になると、
より難しくなった、と記憶しています。
難しいお年頃だから仕方ないのかもしれませんが、いかに努力してないふりをして結果を出すか。
そんな意味のないことに気を遣っていたような気がします。
ある時吹っ切ってからはどうでもよくなりましたが。

高校からは、
周りに真面目な子が多かったから、
そんな余計なことを気にする必要もなく、部活だろうと、勉強だろうと、恋愛だろうと、なんだろうと、自らが好んで一生懸命やってることであれば、互いに尊重できていた気がしますし、そのための過程(不格好)を晒すこともそこまで抵抗がなかった気がします。

そして、大学なんていってしまうと、
わたしが入ったところは特に、それぞれの分野を極めたくて入ってきてた子が多かったので、ほんとうに、何をするにしても一生懸命で、挑戦しないこと、不格好を晒さないこと の方がダサい、くらいの勢いだった、気がします。

(勘違いを招くかもしれませんが、常になんにでも情熱的である必要はないとおもっています。わたしだってやる気のない時もあるし、他の人だってそうだと思います。頑張ってる人の水を差さなければ 目標や、取り組み方はそれぞれでいいとおもいます。)

そういう意味で、自分の身をどこに置くかという事がとても大事だとおもってはいますし、

大人であれば、自らが身を置く場を変更する、という選択がありますが、

子供ってそういうわけにはいかないじゃないですか。

既にある 場 で、
構成する人を変えるとか、
合わない人を排除する

という方法ではなく、

構成する人たちは同じで、
意識だけ変えることは、
できないのでしょうか?
(もちろん時間はかかることは前提で)

初めての試み、何かを任される、一生懸命に何かに取り組む、向上のために試行錯誤をする、
などに、前向きになれる組織をつくるにはどうしたらいいか。

めずらしく、仕事以外でそんなことを考えてみたので、メモです。